これ、わからない人が多いですね。

最終形態が仮に全く同じでも、目的が違えばそれを作る行為の意味は違います。

一緒だと思うのは唯物論なのかな。あるいは洋魂洋才なのかな。

職人と芸術家、製品と芸術は違います。

我々日本人は太古の昔から、奴隷を作らずに暮らしてきた。一方で大陸の白人たちは奴隷を作り、その上に胡座をかいてきた。同じ国の中ですら、領民を所有する貴族にとって、領民は搾取の対象だった。

フランス革命でかろうじて白人の男だけは平等だと言い始めたが、その後もずっと女や東洋植民地の人々を所有物として扱ってきた。今だに他人に働かせて良い思いをするために、環境の為だと綺麗事を言って優位な地位を守ろうとしている。そういう論理構成だろう。最近になってその反動に悩まされているが自業自得だ。

そういう貴族の暇潰しとして発展してきたのが芸術で、貴族というパトロンはいくらでも金を払ってくれる。むしろ高い方がより贅沢な気分になれて嬉しいわけだ。「早く作れ」と言われることはあっても費用はいくらかかっても良いわけだ。

対して製品は、できるだけ手頃な価格で提供される機能性や実用性を備えた価値だ。冷蔵庫を人々が使えば、人々は買い物の回数と労力を減らせる。職人はそういう価値を社会に供給することを目的とする仕事だ。費用がいくらかかっても良いということはない。相手は(最初は一部の人しか手に入れられないかもしれないが)貴族でもパトロンではもない多数の普通の人。

我々には奴隷はいなかったのだから、芸術という概念を元々持たない。最近になって西洋から輸入した概念だ。最終的な形を見て思考力の衰えた日本人や何も知らない外国人が芸術という言葉を当ててるだけであって、本来、日本の建築も仏像も楽器も家具も芸術ではない。