座して死を待て?

日本国憲法はその前文(日本国憲法の理念とも原理とも言える部分)で「周りの国々のなすがままになっとけ」みたいなことが書かれてます。それを受けて9条がある。

座して死を待て。

そういうことになりますね。

尖閣諸島への支那の軍艦の接近、北朝鮮による邦人拉致、韓国による竹島の支配、ロシアによる北方領土の占拠など、保守系の方々は個別の事案ごとにああだこうだと騒ぐけど、そういう方々が「なすがまま」を容認してきたのではないか?

櫻井よし子さんにしても、産経新聞にしても、日本会議にしても、憲法学者にしても、竹田なんとかや上念なんとかや倉山なんとかにしても容認してる側でしょ。この方々、左翼の言論封殺には怒るけど、似たようなことをやってませんかね。反対意見に対する威圧的な態度を何度か見たこと覚えがありますが。

この人たちの寄って立つ憲法論だと、日本国憲法の前文を変えることはきっとできません。憲法学を無視するのかー?と批判されるのは必至。そしたら憲法学者がおかしいと言い出すんですかね。そうなると自己矛盾に陥るかもしれません。

実質的に日本国憲法が機能していないことがこの方々の認識にはないみたい。国家公務員法が日本国憲法の公の定義を書き換えていること、やってはならない私学助成が行われていること、持てないはずの戦力を保持していることなど、素直に読んだら「これ機能してないよね」ということがいくつもある。

憲法問題を考えるときの最大の障害はこういう人たちなんじゃないだろうか。
この人たちは、例えば日本が今後どこかの国に軍事占領され主権を行使できない状態で憲法を改正されたときに、それを受け入れるんだろうか。

この人たちは、軍事占領した国によって政府の要職が排除され、まともに選挙もできない状態で占領軍によって選ばれ構成された政府による憲法改正の決議を受け入れるんだろうか。

上記の方々は、きっと受け入れるんだろうね。日本国憲法ができた時の政府、学者、メディアがしたように。そして何事もなかったように金儲けに励み、反対意見を封じて行くんだろうね。口の達者なのが多いからね。

金と情報で人心を操ることが民主主義、そして肥大化する私

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戦後日本は「民主主義をアメリカに教えてもらった」とまるでGHQの代弁者のような人もいますが、五箇条の御誓文や神話にみられるように、日本にはもともと民主的で合議を重んじる感覚があったので、アメリカに教えてもらったなんていうことはなさそうです。

妖怪『戦前ガー』は、日本が軍国主義の被害者にならず自立を維持するために奮起したことを「日本が軍国主義だった」とか、教育勅語が「軍国主義の象徴だ」などと問題化するなど、事実誤認も甚だしい。これもGHQの反日政策の一部です。まんまとそれに乗せられていることを恥じた方がいいかもしれません。

今の日本の『民主主義ガー』の人たちが信奉しているものは、金と情報で人心を操る術のことです。本当に民主的なら、例えば安保法制の時のように、選挙で勝った側が公約に書いていたことを実行しようとするのを、選挙後に無闇に否定できるはずがないのです。そういうのは民主的ではない。こんな状況では投票率が上がってもダメでしょうね。票の質が悪すぎる。

民主的な方法というのは、手続きと規約を重視する考え方です。手続きと規約に則って決まったことは、例え賛成が反対をほんの僅かに上回っただけだとしても全体として賛成側に舵を切るという合意形成する手法です。「私の願望通りの結果になること」と民主的であることは別のことです。

そういうと議論が不十分だったから合議を行えてなかったいう反論もあると思いますが、今の豊洲や森友の件のように、もっと優先順位が高いはずの議題について議論することを阻害する側が言えることではありませんのでいい加減にしてください。

妖怪『戦前ガー』や『民主主義ガー』が反日的に見えるのは、彼らが「選挙の結果は自分の好き嫌いに関係なく民意なんだ」ということと「その民意はルールとして総意であると考えられる」ということに反発するからです。『差別ガー』や『弱者ガー』や『人権ガー』や『環境ガー』も仲間です。繋がってるでしょ?

これらの妖怪は「肥大化した私」であり、和の精神なんか大嫌いだし、拉致被害者のことなんて眼中にない。肥大化した私だから。戦後の占領期にアメリカに教えてもらったことはそういうことでしょ。

全員が全員というわけではないですが、自民党は産業界からの利権のため、共産党は共産党のため、公明党は創価学会のため、民進党は労働組合のような不労貴族や一部の被差別集団のために、代議士になってる感じの人が多い。妖怪『利権ガー』ですね。言葉は悪いですが「庶民からいかに巻き上げるか」が関心事みたいです。そして妖怪『官僚ガー』。官僚集団という貴族階級が自己の保身・延命・繁栄を謳歌するための仕組みを築いて、せっせとピンハネしてる。

非生産労働者という「使用価値を産まない」立場の人に舵を持たせるからおかしくなるんでしょうね。貨幣経済下の非生産労働はピンハネですかは、ピンハネの方法くらいしか考えない。

そういうことを止めるか減らすかするには、真に民主的な国家にするためには、民意を背にした代議士同士が民意を反映することを主として議論ができる制度や習慣や状況を作らないといけないと思いますし、生産労働者比率を上げないといけません。ピンハネを減らしましょう。
重大な議論すべき解決すべき問題があるときに、金や女性スキャンダル、過去のちょとした発言のつまみ食いなどで、議論ができなくなる。過度な潔癖症なのか、政治家に完全な潔白を求める空気も手伝ってか、重箱の隅をつつくように騒ぎたてる。誰かがその火種を撒いてる感じですね。それに乗じて政争を仕掛ける者もいれば、日頃の鬱憤晴らしをするかのようにそれに乗じて騒ぎ始める民衆もいる。金と情報で人心を操作してる。

小さいことに振り回されるはやめませんか?
原発事故の補償や廃炉にかかる費用が何十兆円だという。

北朝鮮が弾道ミサイルの技術を進歩させ、実際に我が国の周辺にミサイルを撃ち込んでいる。

中国共産党は海上兵力や兵装の増強と揚陸準備を行い、頻繁に我が国領海にアプローチしている。

国家予算約100兆円に加えて特別会計予算という「よくわからないもの」を持って政府は平然としている。

消費税増税すると、なぜか政府の国債発行額が増える傾向にあるのに「国債が増えると子供の世代に負担がかかるから」という不可解な理由でさらなる増税を言い出す。

血圧がコレステロールが癌がと騒いで、色々なことをやるわりには医療費は増大し続ける。医療費が増大する仕掛けや増大した医療費はどういうところに流れるんでしょうか。

拉致被害者は帰ってこないし、北朝鮮は日本を火の海にしてやるなどとも言ってる。

日本の空域が日本の自由にならない。アメリカの大統領が日本政府に知らせることもなく、日本にある基地に好き勝手に飛来する。

国家公務員法は日本国憲法に違反している。役人の福祉と利益を追求せよと書いてあります。そして日本国憲法より力があります。その日本国憲法は我が国の自主憲法である大日本帝國憲法に違反している。1つや2つではありませんよ。たくさんの違反がある。この2つは占領政策の遺物です。

地球温暖化の原因が二酸化炭素ではないことは濃厚なのに、いつまでも低炭素社会などというキャッチコピーで我々の活動を抑制する。他人が納めた税金から補助を受けて環境対応自動車を買って気分がいいのってどういう感覚なんでしょうか。

集めて一緒に燃やす(一緒に燃やした方が良い)のに、我々にゴミの分別を強要する。分別の手間が増えて不便になったのに税金が増える。なんで捨てるためだけにゴミ袋を買わされるのか。

働き方改革と称してプレミアム金曜日だの時短だのと唱えているけど、自分の裁量で仕事ができない(時間いくら型)の奴隷型労働から、自分の裁量で仕事ができる自律型労働への移行をすることの方が大事です。

できもしない地震予知に多く予算を取る東大の連中。予防的対処に予算が流れないから地震が起きれば被害は甚大。研究予算を得るために人を殺したわけです。原発災害よりもこっちの方が罪が重いように思う。

待機児童をなくすことよりも産業の振興に予算を使うべきです。次の世代の人に介護士になれとでも言うのでしょうか。仕事がないと希望を持てませんから、待機児童をなくすこと(非生産労働ばかりの女性の社会進出など)を推進すればするほど希望が持てなくなるんじゃないですかね。
考えること話し合うこと。豊洲や森友よりも大事なこと。たくさんあると思います。

妖怪に取り憑かれませんように。

やっぱり天皇陛下!

何年かぶりに新年の一般参賀に行って、あの雰囲気の中にいて感じたのが、やっぱり日本は天皇陛下なんだなぁということでした。

三島由紀夫が「日本は天皇だ」というような趣旨のことを書いていたと記憶していますが、僕もそうだと思う。

男系継承という掟があるお陰で権威が安泰。天皇以外は全員一般ピープルという考え方。すごい発見だと思います。

特攻隊を犬死にだというような人は「天皇陛下万歳」「皇国史観」「皇軍」なんていう言葉を見るだけで震えちゃうみたいだけど、例えばあの戦艦大和の先端部にバーン!と取り付けられた菊の御紋を見ると美しいなぁと思うというような感覚がずっとあって、皇国とこ皇軍とか、僕にとっても良い響きです。

門に大きな日の丸を掲げ、神社に初詣をし、天皇陛下と一緒に新年を祝う。日本だなーと思います。

日本人は多くの世界の国々よりも豊かな国です。蛇口をひねれば水が飲めて、海に囲まれて穏やかな気候。山には木々が生い茂り、文化も文明も発達している。富士山をバックに新幹線がドカーーンと走り去る様子なんかを見てると嬉しくなります。

先日、核兵器を廃止する条約案に日本は反対しました。噂によれば日本が核武装にかかる時間は一晩だとか。多少誇張があるようにも思いますが、世界最速レベルのスーパーコンピュータによる核弾頭のシミュレーション、正確に宇宙にロケットを飛ばせる技術、そして核兵器に転用可能な燃料。すべて持っている。表向きは非核国ですが、新たに核武装する国が増えて収集がつかなくなりそうだったら、「日本が核武装するよ」と言うだけで強烈な脅しになる。だから、核武装の選択肢は残しておく。個人的には核兵器の使用には反対だけれど、核武装の脅しだけで周りの国々を黙らせることができるならカードとして持っていてもいいかもしれない。日本だからこそ持てるカードです。

日本人は豊かなのに不満も多いそうです。SNSなどでも不平不満の投稿が絶えません。

不平不満があるのは悪いことではないと思います。現状に満足できないから、より良いものを目指そうとする。不平不満も使いようですね。

あちらこちらで頻発するテロや自然災害による被害。日本でも大きな地震で多くの人がなくなりましたが、それでもみんなで助け合い仲良く前に進む。

やる気になればたいていのことはやれます。為せば成る為さねば成らぬ何事も。

そういう環境に囲まれているのが日本人です。多くの日本人が作り産み育ててきたものごたくさんある。

そんな日本に生まれて良かったと思います。

ポリティカルコレクトネスの正体

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ポリティカルコレクトネス(政治的妥当性?)は国際主義者(ネオコン、ウォール街、国際金融資本、共産主義者など)が発明したものです。日本国憲法の前文もそうです。米国の人々はこれにウンザリしてトランプさんを当選させたようです。
目的は思考させないことと分断すること。
これと正反対の概念が十七条憲法や五箇条の御誓文に書かれていること。良く話し合って決めなさいということです。

例えば、大東亜戦争について話すときに、大きく分けて2つの立場があります。戦争は悲惨だという立場と大義があったという立場です。現実には戦争は悲惨だけれど植民地の解放という大義もあった訳ですが、ここで分断が生じてしまいます。

テレビなどで著名人有名人が戦争の悲惨さを訴えて戦争は反対だ、だから日本国憲法が良い、軍隊はいらないと言う。これがポリティカルコレクトネスです。戦争とはどういうものかということを考えるための入り口が1つしかない。

これだと立場が違うと議論は平行線で、両者は分断され、相手の言うことを良く聞いて、良く話し合って和を作るといことができない。

こういうことってたくさんあります。

日本は比較的安全な国だと言われるけれど、警察官僚の不正が酷い。ヤクザがいると困ることもあるけれど、ヤクザが居なくなると外国のマフィアが増える。

殺人をしてはいけない、盗みを働いてはいけない、人種差別をしてはいけない、子供を虐待してはいけない。そんなの当たり前だろ!ということがたくさんありますが、それをわざわざ言って異なる意見を封じるのがポリティカルコレクトネスです。

暴力はいけない非暴力の運動だと言ってるくせに、暴力的な行為に走る沖縄の反戦運動家などは、ポリティカルコレクトネスからくる現象の一つです。平和的にという言葉が好きな中国共産党がチベットやウィグルで虐殺をしたり、尖閣周辺に軍艦や戦闘機をよこすのもそう。日本の弁護士が少女買春はけしからんと国連の特別報告者に入れ知恵したり、自称ジャーナリストが自分の想いを遂げるために言論弾圧したりするのもそうです。

語気が強い言葉や批判に反応する前に少し考える時間を作るのが良いと思います。綺麗事を言う腹黒い人もいます。

注意したいものです。