命を大切にする教育

有性生殖をするようになった生物は、遺伝子の運搬者として存在します。雌雄が交配して遺伝子を子孫に残して死にます。命というのは、この作業を繰り返して永続するもので、個体の(私の)命というものは存在していません。システムそのものが命です。システム全体で一つしか命はない。

子供を産まない権利というのは、如何にも大脳優位な人間の考えそうなことで、両親が子供を産まない権利を行使したら、子供を産まない権利の主張はできません。そういう権利は存在してないんです。

命を大切にするということは、命のシステムに逆らわずシステムを維持することに他ならないわけで、子供たちに「子供を産む産まない権利」を教えたりすることではなく、現代の人間社会であれば「結婚して子供を産みましょう」「できれば元気な子を産みましょう」と教えるのが大事だし、健康な子供を産むには「なるべく早く結婚・出産しましょう」と教えるのが道理です。

最近は弱者ビジネス、差別ビジネスというものが横行していて、大脳優位の反自然的な教育や思想を与えられた人々が、少数者の権利や弱者の論理などを振りかざして運動を起こすことが増えましたが、犬や猫が分かっている命のシステムに逆らう様子があまりにも滑稽です。

自然界には分布というものがあって一様ではありません。中には中央値から離れる人もいます。この場合、不妊や不婚に当たるし、片親育児なんていうのもそれに当てはまるかもしれません。

そういうケースがあることは、分布なんだから認識する必要はありますが、分布を壊すような方向に誘導するのは自然破壊です。ですから、そういうケースを基準に教育なり政策なりをするのは愚です。やるなら、そういうケースを減らすことに頭を使うべきです。

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諸国民の公正と信義に信頼して軍隊を持つこと

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私は日本国憲法は無効だと考えるので最近の改憲狙いの活動を見ると不思議に思ってしまいます。大方の人が支持政党や支持する政治家や言論人に同調しているだけで、あまり考えてないのではないかと感じます。

中国共産党の領土的かつ軍事的な野心的行動や北朝鮮の弾頭ミサイルへと危機感などに反応して憲法9条の足枷を外せと改憲論に向かうのもわかりますが、日本国憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼して」の下りの部分はどうするんでしょうか。

外交の最終手段として軍事力です。外交というのは諸国民の公正や信義があることを前提にしません。そういうものはそもそも信頼に足らないから軍事力による守りを固めるわけです。だからもし改憲という方法が正当だとするなら、前文も含めてごっそりと変えないと矛盾した内容の憲法になるし、いい加減な解釈が乱立して混乱するのではないでしょうか。

日本国憲法は占領期間中に占領軍の意志で行われた憲法制定行為です。狙いは日本が再び抵抗する力を持たないように縛ること。日本を縛った上で、軍事力を米国に依存して自立できないようにした。占領期間中というのは、一般的な法律でさえ占領軍の許可・容認・黙認がなければ作れない状況ですから、国家の主権による行為である憲法の改正や制定という行為もできません。自民党は昔は自主憲法制定を党是にしていましたが、これは日本国憲法は自主ではない、つまり憲法ではないから、本当の憲法を作ろうという発想です。それがいつのまにやら憲法改正が党是だという風に大きく態度を変えました。

公正と信義はもともとないのだから、自国の存在を他国に委ねるような憲法や条約というのは、自国を守る気なんてないと言っているようなもので、そういう憲法や条約の存在を許して良いのでしょうか。

日本国憲法の制定は占領期間中の主権の存在しない期間の違法行為であること、大日本帝国憲法に違反して改正されたこと、戦力を待てないのに持っていたり、結婚するときに保証人を書かされたり、私立大学に税金から補助金が使われたりと実効性に疑問があることが多々あることなどを引っくるめて考えると、憲法としての有効性はないと考えられます。

世の自民党支持者、安倍首相支持者、それに群がる知識人や言論人の中には無効論者を異様に嫌う人がいますが、だいたいそういう人たちの言っていることを見ると無効論批判になっていないようです。

無効論というのは「日本国憲法は無効である論」です。元々無効であり、憲法ではない別のものとして、罷り通ってきたという論です。だから、その憲法でないものを改正したところで、依然として憲法ではないと考えます。無効論に反発する人たちは、「日本国憲法を無効にする論」だと言います。これは日本国憲法は元々有効であり、正当な憲法だけど、それを破棄して作り直すという論です。まったく違いますよね。これを知っていて意図的にミスリードする専門家風の人もいるので注意が必要です。

極東軍事裁判、通称東京裁判については、「あんなものは裁判じゃない」と批判しながら、日本国憲法については「あんなものは憲法じゃない」と言わないのは変ですよ。東京裁判は裁判として正当ではないし、日本国憲法は憲法として正当ではないんだから、憲法じゃないと言うのが自然です。

東京裁判で戦犯とされた方々の名誉は後に法的に回復しました。日本国憲法で悪とされた日本の名誉回復をするには、無効論で行くのが良いと思います。これは良く考えるべきことです。

憲法9条にちょこっと何かを書き加えるだけで日本が良くなるという夢を見たり、それだけのことをやるのに護憲派と罵り合ったりと、なんだかなっていう感じです。

ガンは人生の病

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久しぶりにこのブログを更新します。たまには自分のことを書いてみます。書いておけば、後になって読んで、こんなこともあったなぁと今の率直な気持ちを思い出せるかもしれません。

薦められて『どんなガンでも、自分で治せる』という本を読んでいます。というのも最近大腸ガンの摘出手術を受けて、過去経験したこともない辛い気持ちになったからです。

本の中に「ガンは人生の病」だと書かれていました。人間関係のもつれ、夫婦の不和、生きがいの喪失、金銭問題、トラウマ、自己否定、愛情に乏しかった成育歴などを長年放置してきたことだと。生活習慣の乱れに、これらのストレスが追い打ちをかけると。

多少なりともこれらの問題が「考えてみればそんなこともあったよな」と思う人はいると思いますが、自分の場合もそうです。全部当てはまる。嫌な思い出は消してしまいたいものだし、過ぎてしまえばなんとやら。忘れてしまうことも多いかもしれません。

人間には育つ過程で身につけてしまった癖のようなものがあります。「身につけてしまった」と書いたのは、その癖が本人にとって望ましくないことがあるからです。辛い状況から逃れたくて、その原因を取り除くことをせずに楽な方法を選ぶ。そんなことを繰り返しているうちに逃げるのが癖になる。周りからは楽観的に、あるいは強い人間に見えるように演じてしまうこともあります。

この癖というのがクセもので、なかなか自分では治せない。気がついても、ついつい今まで通りの癖で考え行動してしまう。他人に言われてハッとすることもしばしば。自分と違った考え方の人が周りにいたことを有り難く思う。けど、なかなか自分は変わらない。

ガンについて専門家が書いたものをネットで色々調べてみると、自分の場合は5年後の生存率は50%くらい。今自分がやらなければいけないと思っていることは5年もあればやれそうに思うので十分に生きられると思う。そういう意味では悲観することではなさそう。ただより良く生きるためには、たとえ5年で人生を終わるにしても質は上げたいから、自分を変える工夫はした方がいい。

モノづくりの真似事を始めて5年が経過しましたが、大したことができた自覚はなく、次の5年も大したことができるとは思えないのだけれど、考え方を変え行動にそれが現れたら、5年後の自分は「変わったよね」と言われるほどの変化を見せるかもしれない。「三つ子の魂百まで」と言われるかもしれないけど。

悲観的でも楽観的でもなく、なるべく自分の置かれている状況を客観的に見たいと思う。癖を修正するにはそれが一番大事だと思う。

癖は自分で作ってきたもの。たぶんきっかけは自分。そうは言っても、周りの人が関わっていることもあるので、逆に自分が周りの人にしてしまったことが、その人の癖を作る要素になっていないか。そんなことを心配してしまうし、これからも心配です。子供を叱りつけたときの言動が子供にどんな影響を与えたかみたいなことを考えると心配。二人の子供は立派に成人し自立した人生を送っているから良かったと思うけど、子供たちから見た父親の不甲斐なさや父親への嫌悪感みたいなものも感じることもある。特に子供たちから好かれようとは思わないけど、せめてそういう感情がストレスになって彼らの人生が辛いものにならないことを祈りたいです。

毎日見舞いに来てくれた妻の人生を充実したものにしたいし安心して暮らせるようによしたい。しなければならない。捨てる神もあれば拾う神もあると言いますが、彼女は拾ってくれた神です。できるだけ長く一緒に仲良く生きたいと思います。再婚するときは人生をやり直すつもりだった。前妻とは協力して生きるということが上手くできずに申し訳ないことをしましたが今度は上手くやる決意です。

こういう本を読むのも自分の癖を知り修正する点を知るのには良い機会かもしれません。いろいろ考えさせられました。

おまけ。

容態の悪化から手術を経て退院して2週間経ちます。

容態が悪化したのは便秘になってから。下痢はなかった。便秘になったのは入院する2ヶ月か3ヶ月前。入院の1ヶ月前頃からは腹痛が酷くなり食欲が減退、腰痛にとなる。腹痛が一番酷い頃に父が自宅で亡くなり通夜と葬式で慌ただしくなる。父の葬式が終わってす病院に行き、すぐに大腸ガン(S状結腸ガン)の診断が出て、入院して手術を受ける。父が亡くなってから1ヶ月と少しの時間が経っていた。手術自体は医師によると順調に進んだとのこと。術後数日は高熱が出るし、体には6本の管が差し込まれた状態で生きた心地がしなかった。これは腹痛にもがいていたときよりも辛かった。もうこんな思いはしたくないと思った。術後2週間で退院。目立つ転移もみられないというし、縫った跡が痛むものの元気ではある。現時点では食べたいものを食べられなくて、消化の良いものを控えめに食べてます。仕事は控え目ですが毎日必ずやっている。この後、退院後の検査を受けて、今後の治療方針が決まる。まだ病人という扱いです。

座して死を待て?

日本国憲法はその前文(日本国憲法の理念とも原理とも言える部分)で「周りの国々のなすがままになっとけ」みたいなことが書かれてます。それを受けて9条がある。

座して死を待て。

そういうことになりますね。

尖閣諸島への支那の軍艦の接近、北朝鮮による邦人拉致、韓国による竹島の支配、ロシアによる北方領土の占拠など、保守系の方々は個別の事案ごとにああだこうだと騒ぐけど、そういう方々が「なすがまま」を容認してきたのではないか?

櫻井よし子さんにしても、産経新聞にしても、日本会議にしても、憲法学者にしても、竹田なんとかや上念なんとかや倉山なんとかにしても容認してる側でしょ。この方々、左翼の言論封殺には怒るけど、似たようなことをやってませんかね。反対意見に対する威圧的な態度を何度か見たこと覚えがありますが。

この人たちの寄って立つ憲法論だと、日本国憲法の前文を変えることはきっとできません。憲法学を無視するのかー?と批判されるのは必至。そしたら憲法学者がおかしいと言い出すんですかね。そうなると自己矛盾に陥るかもしれません。

実質的に日本国憲法が機能していないことがこの方々の認識にはないみたい。国家公務員法が日本国憲法の公の定義を書き換えていること、やってはならない私学助成が行われていること、持てないはずの戦力を保持していることなど、素直に読んだら「これ機能してないよね」ということがいくつもある。

憲法問題を考えるときの最大の障害はこういう人たちなんじゃないだろうか。
この人たちは、例えば日本が今後どこかの国に軍事占領され主権を行使できない状態で憲法を改正されたときに、それを受け入れるんだろうか。

この人たちは、軍事占領した国によって政府の要職が排除され、まともに選挙もできない状態で占領軍によって選ばれ構成された政府による憲法改正の決議を受け入れるんだろうか。

上記の方々は、きっと受け入れるんだろうね。日本国憲法ができた時の政府、学者、メディアがしたように。そして何事もなかったように金儲けに励み、反対意見を封じて行くんだろうね。口の達者なのが多いからね。